ホーム > > 価格応談 >

1855‐61年ヒュースケン日本日記

オランダ語草稿

1855‐61年ヒュースケン日本日記 オランダ語草稿
▲ クリックすると大きい写真ご覧できます ▲

1855‐61年ヒュースケン日本日記 オランダ語草稿

1855年からヒュースケンが殺された1861年までの日記。日本では「ヒュースケン日本日記」として青木枝朗訳で知られている。オリジナルのフランス語草稿からの翻訳。訳者不明。388頁 (1-350頁は同筆、350-388頁はヒュースケン死後別のオランダ人が書いたもので、ヒュースケンが母親などに宛てた手紙の写しが入っている)。このオランダ語草稿は1953年にファン・デル・コルプト博士の夫が`オランダのオークションで購入したもので、領収書が日記に貼り付けられている。この草稿は1953年以来、ファン・デル・コルプト家にあり、博士の家族から譲り受けたものである。現存するヒュースケンの日記の唯一の同時代翻訳で、重要な歴史的資料である。同書の英訳版はジャネット・C・ファン・デル・コルプト博士及びR・A・ウイルソン博士の英訳で、UCLAが所蔵しているフランス語草稿と今回のオランダ語草稿を研究し、1964年に刊行された。青木枝朗氏は「ヒュースケン日本日記」(1971年)で下記のように述べている。「このフランス語原稿は、一九五一年になってオランダで発見され、カリフォルニア大学のロサンゼルス校図書館が買いとり、同大学の日本史教授R・A・ウイルソン博士が、それを刊行しようとして準備をすすめていた。 そのうち間もなく、検事で小説家のジャネット・C・ファン・デル・コルプト博士が、ヒュースケンの日記のオランダ語原稿を、やはりオランダの競売市で手にいれた。これはヒュースケンが「まだもう一冊、私の名前でオランダの女王陛下のお手もとに差し上げる日記を書かなくちゃならない」と言っていたもので、コルプト女史はこれを英語に翻訳する一方、ヒュースケンの事蹟を調べるために、カリフォルニア大学のバークレー校に接触をもった。こうして二つのヒュースケン研究が合流して一本にまとめられたのが、ここに約出した一九六四年の英語版で、これによってヒュースケンの日記はほぼ完全なもの復元されたと言って良い。」

 

388pp. 28.4 x 18糎。

 

良好。バインディングは補修。中は良好。経年の傷み少々あり。

 

nb35080002

1855‐61年ヒュースケン日本日記
価格応談



この商品についてメールする >